子どもの力を信じて −ブランコが譲れない−
(はぎわらせんせい
 ここは年中組、四才児の保育室。今年の四月に入園した子供達が毎日の生活を共にしている場です。四才といえば、自分の世界から外へ目が向き始め、友達を求めるようになる時期です。そして、社会性が芽生え、人との関わりを学び、集団生活の基礎となる様々なルールを習得する時期でもあります。
 しかし、これらの事は一朝一夕に成し得るものでない事は言うまでもありません。一人ひとり顔が違うのと同じように、一人ひとりが自分で足元を踏み固めながら進む早さにも違いがあるのです。個性を大切に一人ひとりを尊重して、とよく言われますが、ともすると同一歩調である事に安心感を得てしまい、個々の歩みのスピード、あるいは同じ一歩でもその歩幅の大きさに気づかず、妙な焦燥感を覚えたりする事はないでしょうか。

−ブランコが譲れない−
 
ある日、年長女児が「Aちゃんが、ターザンプランコ代わってくれない」と訴えに来ました。何度も順番で乗るんだよと教えたのに議ってくれないと言うのです。確かに、集団生活のルールから違反する行為かもしれません。幼稚園では、順番制交代制が基本となりルールを身につけていくのですから。しかし、Aちゃんの立場から考えてみると、白黒の判断を下だすのはもう少し待ってほしいと願わざるを得ません。
 入園したAちゃんが、一番先に興味を示したのがターザンプランコ。毎日毎日ロープにしがみつき、転んでは起き上がり、よーし次こそはと、何度も何度も挑戦し続けました。三ケ月もすると、ようやく憧れの立ち乗りにも成功。これまでの努力が報われて達成感に浸りながら乗れるようになった丁度その頃だったのです。代わりたくない、ずっとこの喜びを味合っていたい。そして出来るようになった自分を見て欲しい、そんな思いがAちゃんにはあったのではないでしょうか。
 ブランコが譲れない、この一場面だけをとらえると、ルールの守れない自己中心的な子と映りますが、その内面を探ってみると、実に様々な思いが存在している事に気づかされます。自分のやりたい事を見つけ(興味関心)自分で目標を持ち、それに向けて挑戦し、そして達成感や成就感を味合う、さらに上の目標に向かって努力する。誰かに与えられたものではなく、自らが能動的に関わっていく積極性も蓄積されていきます。
 Aちゃんの場合、こうした自発性、自主性の芽は伸び始めました。今度はそれに集団の中で過ごすルールを少しずつ身につけていけばいいのです。全員が一律に育つのではなく、一人ひとりの育ちを大切に見つめ、今この子が伸びようとしているのは何か、それを援助するにはどんな手だてが必要かを常に考えていきたいと思っています。

-友だちが池に落ちた…その時…-
 
本堂前の池には、鯉や鮒、メダカにカメ、それにナマズまでが住んでいて、子供達には冒険心や探究心をそそられる魅力的な遊び場となっています。その池にBちゃんが落ちたと聞いて急いで行ってみると、ズボンがびしょ滞れで半ベソ顔のBちゃん。その側に靴下がびしょびしょのCちゃん。思わずCちゃんも落ちたのかと思い聞いてみると、「Bちゃんが落ちて濡れたから、ボクの靴下で拭いてあげたの」
 大人の発想を遥かに越えた思いやりの方法に脱帽しました。友達が困まっている場に直面し一体自分に何が出来るのか、それを考えた時、出てきた答えが靴下を脱いで拭く、という方法だったのでしょう。大人に助けを求める方法もあったでしょうに、まずその間に、自分の手で何とかしてやりたいという強い思いがCちゃんを動かしたのでしよう。
 CちゃんもどちらかというとAちゃんと似たようなタイプでブランコ代わってくれないと、よく訴えられるメンバーの一人です。しかし、心の中の、人として一番大切にすべき部分は、着実に育ってきている事を感じ、何も靴下で…と笑いをこらえながらも、Cちゃんの気持ちがとても愛しくて、とても嬉しくて、感激しました。
 幼稚園の毎日の生活の中で、子供達に無駄という言葉はありません。例え、廻り道をしても逆行するかのようであっても、それは全て子供達の軌跡であり蓄えになるのではないでしょうか。そのことを踏まえ、一人ひとりの成長のスピードに合わせ一人ひとりの力を信じて保育にあたっていきたいと思います。.「はい、次は○○ちゃん」と、ブランコを渡せるようになる日を信じて……。