子どもたちと私
(みきせんせい

 いつの頃からだろうか。幼稚園の池にはカッパが棲むといい、「森の山」には鬼がいて、時々いたずらをしにやって来ると言う。
「エンマ大王はね、浄玻璃の鏡で覗いているんだよ。」
「(本堂の)仁王様の足は、飛行磯よりも速いんだって。」
口伝えに聞いた話は、いつの間にか迫力を増していく。時折、不思議な手紙が迷いこむ事もあり、子ども達の大冒険がスタートする。
 本当は怖くとも、ドキドキするような不思議な物語が大好きな子ども達。折れた枝、花びら一枚からでも大スペクタクル物語を創りあげてしまう。園庭が舞台となって、様々なシーンが繰り広げられるのである。
 それはきっと、大人以上に敏感に季節を感じとり、変化に目を向け、自然の中で過ごし、そのおもしろさを満喫しているからこそ、と思う。匂い、感触によって、体で味わう心地良さを無意識のうちに一番良く知っているのではないだろうか。
 普段、見過ごしてしまうような小さな出来事、小さな生きものの表情に、まるで心を奪われたようにじっとたたずみ、見つめている姿に出会う事がある。小さな体から、そのおもいが溢れ出てきそうなほど心が動いているのかもしれない。
 生まれてわずか数年でありながら、そのはじけるような躍動感と、吸収力には驚かされる。いや、数年であるからこそ、生命力に溢れているのだろうか……。

 子ども達といると、自分を振り返る、考えさせられる機会がたくさんあります。"自分を棚にあげて"とはよく言ったもの、子ども達に良かれと話した事で.果たして自分はどうなの?と反省させられる事も度々。こんな私が教師でいいのだろうかなどと考えこんだりする事もしばしばありました。
 ほとんどの子ども達にとって幼稚園は、親元を離れての初めての集団生活。そして、初めて出会う"先生"。
(先生って一体何者?)
(どうやら悪者ではなさそうだ)
と少しずつ打ち解けて信頼関係が結べるようになるまでは、きっと子ども達も想像以上に努力している事でしょうね。
 初めて出会う"先生"、少なからず影響を与える存在であるからには、頼りがいのある教師でありたいと思いながら、現実とのギャップに悩む日々。つい、他人のせいにしたり、不満をならべたり、自己嫌悪におちいったり。
 でも、そんな時、何より支えになったのは、子ども達の笑顔でした。そして、周りの人々のあたたかさでした。一緒に笑ったり泣いたり共に過ごす中で、気負う事なくありのままの自分をさらけ出す事で、子ども達も本音を出せるようになるのだという事、完壁な人間はありえないのだから、より良い方向へ努力しようと思い直す所から、新たな自分が見えてくるのだという事を、教わったように思います。
 子ども達は、担任の良い所、悪い所をきちんと理解し、判断し、取捨選択していける力を持っているのですね。毎日、気付かされる事、勇気づけられる事ばかりです。
 時間は止まってはくれません。子ども達の大切な時間はどんどん過ぎていきます。だからこそ今しか出来ない経験を、たくさんしてほしい。暗いニュースが多い中、例え時が流れても変わってはいけない大切なものがあるはず。命の大切さ、友だちと遊ぶ事の楽しさ、疑似体験ではなく本物の手ごたえ、そして、自分が必要とされている人間ー愛されている存在であるという事などをたくさんの人々と関わる中で、感じていってほしいと思います。

 何年たっても、理想と現実に悩む日々は続きそうですが、これまでそうだったように、私自身もいろいろな人々に出会い支えられ、子ども達と一緒に成長していくのかもしれません。
 「先生、顔ちゃんと洗わないととれないよ。」
 多いほくろをごま塩と呼んでひやかしていた子ども達も、最近は、真顔で忠告してくれるようになりました。ありがとう!?